普天間第二小の校庭に米軍ヘリの窓が落下して5年を迎える今も、頻繁に学校の上空や近辺を米軍機が通過していく。この日は同校上空を輸送機が旋回し、オスプレイ(左)やヘリが離着陸を繰り返していた=沖縄県宜野湾市で2022年12月7日午後0時21分、喜屋武真之介撮影
沖縄県宜野湾市にある米軍普天間飛行場で他の基地に所属する「外来機」の飛来が増加している。2021年度の外来機の離着陸回数は20年度から33%増で、防衛省沖縄防衛局が全機種について調査を開始した17年度以降初めて3000回を超えた。専門家は背景に有事を見据えた米軍の戦略の変化を挙げる。普天間飛行場に隣接する小学校の校庭に17年、米軍機から窓が落下した事故から13日で5年。市街地にある基地は危険性が指摘されながらも使われ続け、周辺住民の負担は増している。
県によると、普天間飛行場には輸送機オスプレイなど58機が常駐している。
沖縄防衛局の目視調査では、普天間飛行場の離着陸回数は17年度に1万3581回だったが、年々増え、20年度は17年度比で40%増の1万8970回に達した。21年度は1万6719回に減ったが、それでも17年度比で23%増だ。
そのうち外来機の離着陸回数を見ると、17年度415回▽18年度1756回▽19年度2776回▽20年度2590回▽21年度3446回――と増加傾向にある。普天間飛行場には常駐していない戦闘機も度々飛来し、激しい騒音をとどろかせる。政府は「負担軽減策」としてオスプレイの訓練の県外移転などを進めるが、外来機の飛来が「帳消し」にしている形だ。
基地問題に詳しい野添文彬・沖縄国際大准教授(国際政治学)は外来機の増加について「中国のミサイル能力向上を受け、米軍の各部隊は所属基地が攻撃された場合に備え、別の基地を使うことを想定した訓練を重ねている。中台関係や米中関係が緊迫する中で、今後もこうした傾向は続く」と指摘する。
米軍戦闘機の低空飛行による爆音で耳を塞ぐ普天間第二小の児童たち=沖縄県宜野湾市で2022年12月6日午後2時46分、喜屋武真之介撮影
5年前の17年12月13日には普天間飛行場所属の大型ヘリコプターが隣接する宜野湾市立普天間第二小の上空を飛行中、校庭に重さ約8キロの窓を誤って落下させた。校庭では約60人の生徒が体育の授業中で、あわや大事故になるところだった。政府は市街地にある普天間飛行場の移設計画を進めるが、移設先の名護市辺野古沿岸部では軟弱地盤の改良工事が必要となり、移設の完了は12年以上先とされる。周辺は騒音被害にさらされ、訓練の激化に伴う事故の再発も懸念される。
野添准教授は「米軍は戦略上、自衛隊基地の使用も含め日本各地で訓練したいと考えている。抑止力の向上と沖縄の負担軽減を両立させるために、日本政府は県外への訓練移転をもっと進める必要がある」と強調する。【比嘉洋】
「これで授業はできているのか」
沖縄県宜野湾市にある市立普天間第二小学校の校庭に米軍機から窓が落下した事故から5年になるのを前に、基地問題を学ぶ琉球大学の学生たちが6日、二小周辺を歩いた。普天間飛行場に隣接する二小では今も上空を飛ぶ米軍機から騒音が響き、校庭には事故に備えた避難用のシェルターまでがつくられた。「子供たちの大事な時間が奪われている」。参加した人文社会学部3年の屋嘉比琉政(やかびりゅうせい)さん(21)は実態を知り、悲しい気持ちを口にした。
この日、二小近くの上空を米軍戦闘機がごう音を立てて旋回し、下校中の児童たちが両耳を塞ぐ光景があった。「これで授業はできているのか」「子供たちへの影響が心配だ」。学生たちは口々に驚きを語った。
5年前、屋嘉比さんは約1キロ離れた県立普天間高校に通っていた。夜のニュースで二小での事故を知り、「小学生の上に落ちたかもしれない。危ない」と思った。だが、翌日も教室で事故が話題に上ることはなかった。
屋嘉比さんは米軍嘉手納基地のある沖縄市で育った。幼い頃から基地は身近な存在で、大学生になって嘉手納基地内のカフェでアルバイトを始めた。米兵は紳士的でチップをくれることもある。日常会話程度の英語もできるようになった。
一方で、大学では基地の影響が多岐に及ぶことを学ぶ。米軍からの返還地にできた地元のサッカー場で、地中に猛毒のダイオキシン類が付着したドラム缶が残されていたことを知って驚いた。基地の負担を学びながら、基地で働く自分の日常を「矛盾しているのでは……」とも思う。
5年前、深くは考えなかった二小での事故。実際に現場近くを歩いてみて、異様だと感じた。一方で、周辺の安全保障環境を考えると、「沖縄の基地を無くしたらどうなるだろう」と思う。答えは簡単には見いだせないが、現状に疑問は尽きない。「せめて米軍機の訓練はもっと影響が少ない場所でできないのか。沖縄はどこまで負担を受け入れないといけないのか」【宮城裕也】